潜水艦
Submarines

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


基準排水量:626t(VIIB型は753t、VIIC/41/42型は769t、VIID型は965t、VIIF型は1,084t) 全長:64.5m(VIIB/C/41/42型は66.5m、VIID型は76.9m、VIIF型は77.6m) 最大幅:5.9m(VIIB/C/41/42型は6.2m、VIID型は6.4m、VIIF型は7.3m) 吃水:4.4m(VIIB/C/41/42型は4.7m、VIID型は5.0m、VIIF型は4.9m) 主機/軸数:ディーゼルエレクトリック 出力:750馬力 速力:8.0kt(VII/C/41/42/D/F型は7.5kt) 兵装:88mm単装砲1基、20mm単装機銃1基、533mm魚雷発射管5門(艦首4門、艦尾1門、VIIC/41/42型は88mm単装砲1基、37mm単装機関砲1基、533mm魚雷発射管5門、VIID/F型は37mm単装機関砲1基、20mm単装機銃2基、533mm魚雷発射管5門)

↑ドイツ海軍VIIA型潜水艦

↑ドイツ海軍VIIB型潜水艦
↑ドイツ海軍VIIC型潜水艦

↑ドイツ海軍VIIC41型潜水艦
↑ドイツ海軍VIID型潜水艦

↑ドイツ海軍VIIF型潜水艦

↑Image courtesy of Shipbucket.
※VIIA型
艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
U27~U36

↑Image courtesy of Shipbucket.
U34 F. Krupp Germaniawerft AG 1936/9/12 ◎1935/9/15 起工
◎1936/7/17 進水
◎1936/9/12 第2潜水艦群 2. Flottilleに編入(~1939/8/31、実戦)
◎1936/12/12 U34は内戦中のスペイン海域でドイツ軍の“ウルスラ作戦 Operation Ursula”の監督的役割を果たした。この艦はハラルド・グロッセ大尉 Kptlt. Harald Grosseの指揮の下、1936年12月12日にスペインの潜水艦C-3を撃沈した。この事件についてはこちらの記事を参照
◎1939/9/1 第2潜水艦群 2. Flottilleに編入(~1939/12/31、実戦)
◎1940/1/1 第2潜水艦群 2. Flottilleに編入(~1940/9/30、実戦)
◎1940/8/2 オランダの潜水艦O-22(艦長J. W. Ort)は、0750時にノルウェーの北海南西海域にてU34を発見したが(艦長Rollmann)、攻撃を開始するために接近することはできなかった
◎1940/10/1 第21潜水艦群 21. Flottilleに編入(~1940/11/1、学校訓練船)
◎1940/11/2 第24潜水艦群 24. Flottilleに編入(~1943/8/5、訓練)
1943年8月5日2155時、バルト海のメメル(北緯55.43.7度、東経21.06.5度)で潜水艦母艦Lechと衝突し沈没。死者4名、生存者39名(就役中に事故やそのほかのさまざまな原因で犠牲者を出したほかの多くのUボートとは異なり、U34は喪失時まで(我々が知る限り)犠牲者を出さなかった)
7 patrols
☆U34の撃沈スコア
※VIIB型
艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
U45~U55
U47 F. Krupp Germaniawerft AG 1938/12/17 ◎1937/2/27 起工
◎1938/10/29 進水
◎1938/12/17 第7潜水艦群 7. Flottilleに編入(~1939/8/31、実戦)
◎1939/9/1 第7潜水艦群 7. Flottilleに編入(~1939/12/31、実戦)
1939/10/14 同艦はスカパ・フローにて信じられないような襲撃を行い、イギリス海軍戦艦Royal Oak(08)を撃沈した

(↑戦艦ロイヤル・オーク(1916年時))
◎1939/12/5 イギリス蒸気船Navasotaを撃沈後、U47はイギリス駆逐艦に一時深度攻撃を受けたが、無傷で脱出
◎1940/1/1 第7潜水艦群 7. Flottilleに編入(~1941/3/7、実戦)
◎1940/4/17 イギリス海軍戦艦Warspite(03)に魚雷を発射したが、外れたため(あるいは爆発しなかった可能性が高い)、駆逐艦に深度攻撃を受けた。日付はおおよその可能性がある(しかし、4月19日より前)

(↑クイーン・エリザベス級戦艦ウォースパイト(改装時))
◎1941/2/26 U47は、アイルランド西方の輸送船団を攻撃するため、Fw 200コンドルで誘導していた。護衛艦は艦を深度攻撃し、航空機による攻撃もKptlt Prienによって報告された
1941/3/8 イギリス海軍駆逐艦Wolverine(D.78)の攻撃により沈没。Wolverineは実際にはU47の代わりにEckermannのUAを攻撃した。UAはこの攻撃ののち、基地に到着した。U47の喪失の理由として考えられるのは、機雷、自身の魚雷、またはイギリス海軍コルヴェットCamellia(K.31)とArbutus(K.86)の攻撃などである

(↑駆逐艦W級)
10 patrols
☆U47の撃沈スコア
U73~U76
U73 Bremer Vulkan-Vegesacker Werft, Bremen-Vegesack 1940/9/30 ◎1939/11/5 起工
◎1940/7/25 進水
◎1940/9/30 第7潜水艦群 7. Flottilleに編入(~1941/1/31、訓練)
◎1941/2/1 第7潜水艦群 7. Flottilleに編入(~1942/1/1、実戦)
◎1942/1/1 第29潜水艦群 29. Flottilleに編入(~1943/12/16、実戦)
1942/3/22 11時50分、リビアのDernaの北西約50マイル:ボートはブレニムMk. IV(シリアル・ナンバーZ7793、イギリス空軍第203/M飛行隊 RAF Sqdn 203/M、パイロット:ベレスフォードパース少尉 P/O Beresford-Peirse)の攻撃を受けた。U73は航空機(ボーフォートと誤認)を発見すると潜航したが、投下された4発の250ポンドのA/S爆弾は甚大な被害をもたらし、ボートは一時的に潜航不能となり、ローゼンバウム艦長 Rosenbaumは哨戒を中止せざるを得なかった
1942/8/11 U73は38.05N、03.02Eにてイギリス海軍航空母艦Eagle(94)を撃沈:1942年8月11日、U73が送信したラジオグラム:護衛-駆逐艦15隻と護衛艇、巡洋艦2隻、貨物船9隻から10隻、空母1隻、戦艦1隻。空母のファンショット。500mの距離から4発命中。激しい沈没音-異常なし!-ローゼンバウム

(↑航空母艦イーグル(1939年時))
1942/12/5 地中海で航空機の攻撃により甚大な被害を受け、帰投せざるを得なくなった
1942/12/27 7時15分、Algiers北西海域:英ウェリントン爆撃機(シリアル・ナンバーLA97、イギリス空軍第179/T飛行隊 RAF Sqdn 179/T、パイロット:A. H. コンフォート大尉 F/L A. H. Comfort)がレーダー・コンタクト後、リー・ライト Leigh Lightを使用して攻撃したが、メトックスに警告されたボートは直ちに対空砲で射撃し、左舷エンジンに命中した。投下された4つの爆雷は外れ、ウェリントン(ボーフォートと誤認)は海岸に向かうことを余儀なくされ、すべての緩い装備を投棄したあとにタファラウイに到着した
1942/12/27 航空機攻撃、撃墜機:英ハドソン爆撃機(シリアル・ナンバーAM638、イギリス空軍第500/M飛行隊 RAF Sqdn 500/M、パイロット:J. R. ピュー少尉 P/O J. R. Pugh)。08時17分、地中海、アルジェの北西:最初の空爆でコックピット付近と右舷エンジンに対空砲火が命中し、航空機が投下した4つの爆雷は80~250m(87~273ヤード)の幅で落下したが、軽微な損害にとどまった。航空機は約50マイル(80km)離れた海岸に到達しようとしたが、攻撃からわずか3分後に投棄せざるを得なかった。同日午後、4人の乗員は、第500および608空軍のハドソンに護衛されたウォーラス飛行艇(第700艦隊航空隊、パイロット:ニール・フラー中尉 Sub Lt Neil Fuller)によってディンギーから救助された)
1943/6/27 地中海で護衛艦の深度攻撃により大損害を受け、帰投を余儀なくされる
◎1943/10/30  イギリス海軍潜水艦Ultimatum(P.34)が地中海、フランスのToulonの東南、43.04N、05.57Eの地点で発射した魚雷の標的は、以前はU431を沈めたとされていたが、実際には無傷で難を逃れたU73だった
1943/12/13 地中海の輸送船団GUS-24に対する攻撃中、U73は駆逐艦に突っ込まれ、その結果、Flakvierling 4連装対空砲を失った
1943/12/16 地中海のOran北方海域、36.07N、00.50Wの地点にてアメリカ海軍駆逐艦Woolsey(DD-437)Trippe(DD-403)の爆雷と砲撃により沈没。死者16名、生存者34名
15 patrols
☆U73の撃沈スコア
U83~U87
U99~U102
※VIIC型
艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
U69~U72
U77~U82
U83~U87
U88~U98
U96 F. Krupp Germaniawerft AG 1940/9/14 1945/2/15 ◎1939/9/16 起工
◎1940/8/1 進水
◎1940/9/14 第7潜水艦群 7. Flottilleに編入(~1940/11/30、訓練)
◎1940/12/1 第7潜水艦群 7. Flottilleに編入(~1943/3/31、実戦)
◎1941/4/28 アイスランド南東方、60.04N、15.45Wの位置にてイギリス海軍コルヴェットGladiolus(K.34)はドイツの潜水艦Uボートに爆雷攻撃を仕掛けた。しばらくの間、この攻撃でU65が沈没したと思われていたが、実際にはU96が無傷で難を逃れた

(↑イギリス海軍フラワー級コルヴェット)
◎1941/10/31 満月の夜、水上でOS-10船団 convoy OS 10を攻撃していたレーマン=ヴィレンブロック Lehmann-Willenbrockは、船団に向けて長距離砲撃を行い、1隻を撃沈。イギリス海軍護衛スループLulworth(Y.10、元アメリカ沿岸警備隊沿岸警備隊カッターChelan(CG-45)12)は追跡し、U96を砲撃で沈めたのち、27発の爆雷を投下。しかし、U96に命中した爆雷は近くに落ちず、Lulworthは攻撃を回避して哨戒を続けた(出典:ブレア Blair著、第1巻、394ページ)
1941/11/30 ジブラルタル海峡を突破しようとしていたU96は、22時35分にイギリスのソードフィッシュ機の攻撃を受けた。損傷を受けたU96は潜航し、翌朝4時45分に浮上、フランスの基地へと向かった。ロータル=ギュンター・ブーフハイム Lothar-Günther Buchheimが小説「Das Boot」で描写している、より長く劇的な潜水艦滞在は、本書において著者がU96の従軍特派員時代に経験した数々の出来事をフィクション化した数ある場面の一つである(出典:ブレア著、第1巻、401ページ)
◎1943/4/1 第24潜水艦群 24. Flottilleに編入(~1944/6/30、訓練)
◎1944/7/1 第22潜水艦群 22. Flottilleに編入(~1945/2/15、学校訓練船)
◎1945/2/15 Wilhelmshavenにて退役
1945/3/30 WilhelmshavenのHipper Basinにて米空襲(第8航空軍)の爆撃により沈没
11 patrols
☆U96の撃沈スコア
「Das Boot」(The Boat)との関連:ロータル=ギュンター・ブーフハイム Lothar-Günther Buchheimは従軍記者としてU96に1回の哨戒任務に就いた。この任務を通して、潜水艦戦を描いた国際的なベストセラー小説「Das Boot」(The Boat)、短編小説「Die Eichenlaubfahrt」(The Oak-Leaves Patrol)、そして3部構成の文章と写真による年代記「U-bootkrieg」(U-Boat War)、「U-Bootfahrer」(U-Boat-Men)、「Zu Tode Gesiegt」(Victoried to Death)が生まれた。ブーフハイムは、プロパガンダ目的でドイツ海軍の戦闘中の情景写真を提供する公式画家としてU96に配属された。彼が撮影した写真は5,000枚以上が戦後も残っており、そのうち205枚が壮大なフォトエッセイ「U-Boat War」を構成している。「U-Boat War」に収録されている写真はすべてブーフハイムが撮影したもので、U96の機関科士官Fritz Gradeが撮影した数枚は例外である。Buchheimは、激しい嵐の中、U96とU572が偶然遭遇するのを目撃した。これはおそらく1941年11月に起こったもの。U572は1941年11月29日、U96の数日後に出航した(下記の任務の詳細を参照)。当時、U572の艦長はKptlt. Heinz Hirsackerだった(Hirsackerは1943年に軍事法廷で「敵を前に臆病」の罪で死刑判決を受けた。この運命を辿った唯一のUボート艦長は1943年4月24日に処刑された。U572は1943年後半に失われた)。彼はまた、「Jäger im Weltmeer(Hunter in the Ocean)」を執筆し、1995年には小説「Die Festung(The Fortress)」を出版した。この小説の中で、ブーフハイムはフランスのBrest港での最後の日々、そしてBrestを出発した最後の2隻目のUボートとともにLa Palliceへ向かう劇的なシュノーケル航海について綴っている。ブーフハイムの著作は、特にフォトエッセイにおいてUボート部隊、とりわけカール・デーニッツ Karl Dönitzに対して非常に批判的な記述をしていることから、物議を醸している。(Buchheimの反論として、Karl-Friedrich Mertenは「Nein! So war das nicht!(We U-boat men say: "No, it wasn't so!)」と題する著書を著した)
U132~U136
U201~U212
U221~U232
U235~U291
U301~U316
U331~U394
U396~U458
U465~U473
U475~U486
U551~U683
U701~U722
U731~U768
U771~U779
U821、U822
U825、U826
U901~U908
U921~U928
U951~U994
U1051~U1058
U1101、U1102
U1131、U1132
U1161、U1162
U1191~U1210
※VIIC/41型
艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
U292~U300
U317~U328
U329、U330 ◎1943/9/30 建造中止
U687~U698 ◎1943/9/30 建造中止
U723~U730 ◎1943/9/30 建造中止
U827、U828
U909~U912 ◎建造中止
U929、U930
U931~U936 ◎1943/9/30 建造中止
U995~U1010
U1011、U1012 1943/7 建造中、爆撃により損傷、のちに解体
U1013~U1031
U1032~U1050 ◎1943 建造中止
U1063~U1065
U1066~U1068 ◎建造中止
U1107~U1110
U1111~U1114 ◎1944/7/22 未着手のままキャンセル
U1133~U1146 ◎1944/9/30 未着手のままキャンセル
U1163~U1172
U1173~U1190 ◎建造中止
U1211~U1214 ◎1943/9/30 建造中止
U1271~U1279
U1051~U1058
U1280~U1285 ◎1943/11/6 建造中止
U1286~U1291 ◎1943/3/22 VIIC/42型に変更
◎1943/9/30 未着手のままキャンセル
U1301~U1308
U1309~U1312 ◎1943/9/30 建造中止
U1331~U1338 ◎1943/9/30 建造中止
U1401~U1404 ◎1943/9/30 建造中止
U1417~U1422 ◎1943/9/30 建造中止
U1435~U1439 ◎1943/9/30 建造中止
U1801~U1804 ◎1943/9/30 建造中止
U1823~U1828 ◎1943/9/30 建造中止
※VIID型

↑Image courtesy of Shipbucket.

艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
U213~U218
※VIIF型
艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
U1059~U1062


Update 25/08/04